安倍首相の靖国参拝を支持する 英霊の冥福を祈るのは首相の責務

安倍晋三首相が12月26日、靖国神社を参拝した。現職首相としては2006年8月15日の小泉首相以来7年4か月ぶりの参拝となる。安倍首相は「英霊の冥福をお祈りし手を合わせることは、世界共通のリーダーの姿勢だ」と述べている。諸外国を含めて戦場で亡くなった全ての人々を慰霊する目的で靖国神社境内に設けられた鎮霊社にも参拝したという。首相の靖国参拝は良識ある国民が等しく願ってきたことだ。英霊たちも喜んでいるだろう。


靖国神社明治維新以降、今日に至るまで国家の平安のために殉じた人々を祀ってきた。生前の身分や階級、宗教、性別、年齢などを問わず、等しく戦死者や殉職者を合祀し、現在は247万柱の御霊が祀られている。終戦直後、GHQ(連合国総司令部)には靖国神社を悪なる国家神道の根元として焼却しようとする動きがあったが、駐日ローマ教皇庁代表のビッテル神父が「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務がある」とマッカーサー元帥に進言し、焼失を免れた経緯がある。
この指摘にあるように国家の為に生命を投げ出し、犠牲の道を歩んだ人はいずれの国でも「国の英雄」として崇敬されている。そうした崇敬の念をわが国は伝統に則って靖国神社に合祀し体現してきたのである。戦後、靖国神社は国家の管理を離れて単立の宗教法人となったが、その伝統は今日も変わらない。安倍首相は「政権が発足して1年の安倍政権の歩みをご報告をし、二度と再び戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代を作るとの誓い、決意をお伝えするために、この日を選んだ」と述べている。靖国参拝は日本の首相としては当然の義務と言うべきである。


いずこの国でも戦争のために命を捧げた国民のために記念碑を建立し、自国元首だけでなく外国元首が訪問した際にも献花して慰霊、敬意を表するのが習わしである。これは国際的常識であって日本だけが例外扱いされる謂われはない。また慰霊がその国の伝統的形式に基づくのも当然のことである。宗教学者山折哲雄氏は「われわれの文明には神仏共存のシステムと鎮魂を通して『死者』を許す観念が強力に生き続けている。…『靖国』信仰は神仏共同の鎮めのメカニズム」(読売新聞2005年年6月9日付)と指摘している。靖国を論じる場合、こうした日本の霊的伝統を十分に理解しておかねばならない。靖国否定論者の中には戦争をうんぬんする以前に日本の霊的伝統を否定しようとする無神論的、唯物論的思考が存在していることを見逃してはならない。

 中国や韓国の謂われのない批判は放っておけばよい。そもそも中国や韓国による「靖国騒動」を仕掛けたのは、従軍慰安婦問題と同様、朝日新聞にほかならない。1985年に中曽根首相が公式参拝すると朝日が大騒ぎし、それに乗じる形で中韓も大騒ぎし、「恫喝外交」に使うようになった。日本側が躊躇したり妥協したりしたので図に乗り、「恫喝」に拍車を掛けた。その構図が現在まで続いているのである。中韓は1985年以前には靖国参拝をまったく問題にしていなかった(従軍慰安婦問題しかり)。


また「A級戦犯」の合祀をもって参拝に反対するのもおかしな話である。わが国はサンフランシスコ講和条約東京裁判の判決結果を「受諾」したが、これは刑の執行や赦免・減刑などの手続きを受け入れ、東京裁判の不法・不当性を国家として対外的に主張しないと約束したにすぎない。それに1953年8月3日の衆議院本会議において「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を採択し(当時の社会党共産党も賛成した満場一致である)、罪人としないことを明確にし、「A級戦犯」の刑死は国内法上の「公務死」扱いとしたのである。


それ以降、戦犯を日本の責任ですべて釈放したが、連合国からクレームがつくことなかった。禁固7年の「A級戦犯重光葵氏は鳩山内閣で副総理・外相になり、日本初の代表として国連総会で演説し、終身刑の「A級戦犯賀屋興宣氏は池田内閣の法相になったが、国際社会から異議を唱えられたことは一切ない。
政教分離の立場から参拝に反対する向きがあるが、これも間違った考えである。憲法政教分離条項(20条)は、信教の自由の保障を主たる目的とし、その信教の自由を保障するために政教分離規定を設けている(あらぬ誤解を生むので改正が必要だが)。首相の靖国参拝は公的、私的を問わず戦没者慰霊のためであって、靖国参拝によって「信者」を増やそうとか、他の宗教を圧迫・干渉しようとする意図がなく、したがって違憲とはならないと解釈するのが常識である。
以上のことから、安倍首相の靖国参拝は当然の行為として支持されるべきである。