オリンピック リオから東京へ

☆よく頑張った日本選手団

 8 月21 日(日本時間22 日)リオデジャネイロマラカナン競技場の聖火台の火が静かに消えて、第31 回オリンピック・リオデジャネイロ大会は無事17 日間の熱戦を終了した。開催前までは、ブラジルの政情不安、経済不況、テロ等が懸念されていたが、いざ大会が始まってしまうと世界の注目は競技の方に集中し、いろんな不備な点は問題にされなかった。実際は、熱烈な競技の背後では、数々の問題はあったらしい。大会当初、入場チケット全体の28%に当たる170 万人分が売れ残っていた。8 月5 日の開会式でさえ、一万枚以上が売れ残っていた。
 事実、多くの競技会場では空席が目立っていた。地元のリオ市でも、市民の関心は低かった。ともあれリオ大会は、心配されたテロもなく、大禍なく無事終了したことは、南米大陸初のオリンピックとしては、目出度く成功したと言えるだろう。
そうした中でも、今大会での日本選手団の活躍は目覚ましいものがあった。日本選手団は、金12・銀8・銅21、計41 個のメダルを獲得し、日本がオリンピック大会に参加以来、最多のメダルを獲得する結果となった。健闘した日本のアスリート達に心からの拍手と感謝の気持ちを贈りたい。

特に印象的だったのは、女子レスリングで金メダルを獲得した、3 人の日本女性が最後の30 秒から逆転勝利したケースで、特に伊調選手の場合、最後の5 秒間で逆転勝利したドラマティックなシーンがあった。最後まで諦めてはいけないという教訓を我々に与えてくれた。また男子400m リレーで銀メダルを取った日本チームも、実に見事で完璧な走りを見せてくれ、日本を感動の渦に巻き込んだ。
 オリンピックは、国際交流と平和の祭典であり、人種・国境・宗教を超えたスポーツの大会である。
しかし、このオリンピックから国旗・国歌を取り去ったら、何の感動が残るだろうか。今日の愛国心を失った日本でも、国民が一つに団結できるのは、オリンピックのような世界スポーツ大会ではないだろうか。近代オリンピックの父と言われるフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の有名な言葉「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある。」(実はこれはクーベルタン自身の言葉ではなく、 英国聖公会のタルボット大主教の説教中の一節)によれば、どんなに小さな国でも参加することが推奨される。

 それにしても超大国アメリカはさすがに凄い。今大会でも金46・銀37・銅38、合計121 個のメダルを獲得している。開催国であるブラジルは金5・銀5・銅5、計15 個と順位も15 位と中位に甘んじている。開催国だから、高得点を上げなくてはならないという意識は乏しく、リラックスムードである。それも次回を受け継ぐ日本が学ぶべき点かも知れない。

☆五輪の成績は国力を反映する 

リオ大会での、日本の金メダル予想は10 〜 14個だった。これは「メダルアスリート・ポテンシャル」という分析方法によるもので、今回は金12 個を取ったので、目標の14 には届かなかったが、まあまあの実績だろう。今大会のメダル数で目立ったのは、アメリカを別とすれば、総合2 位で金27・銀23・銅17 で合計67 個のメダルを取った英国の活躍である。ロンドン大会以前の英国は、オリンピックでの成績は振るわず、長期低迷状態にあったが、ロンドン開催を目指し、スポーツ振興に力を入れ、実績を上げてきた。英国はサッチャー故首相の登場以前は、経済も振るわず、長期低迷傾向にあり、いわゆる「英国病」という言葉が言いふらされていた。
 しかし、鉄の女と言われたサッチャー首相の出現により、この英国病を脱して、強い経済を実現してきた。英国はシティの金融以外の産業を捨てて、金融サービスを主体としたソフト経済にシフトして強い英国を再現して来た。最近はEU 離脱等の課題はあるものの、英通貨ポンドは、強い通貨となり、これが英国民をしてEU に頼るよりは自分達でやっていけるという自信を植え付け、結果的にはEU 離脱に至ったものと解される。
 
 ここで何が言いたいかというと、オリンピックでのメダル数は、結局は国力の反映であるということである。日本はもう少し頑張れば、ドイツを追い越して、総合順位5 位になれるはずだった。
 日本のメダル最多に比して、成績が振るわなかったのは韓国である。金8・銀3・銅8 の計19 個で、
総合順位は11 位であった。普通なら金をとれるはずのテコンドーや、柔道世界ランキング1 位の選手が金を取れなかった。韓国民はライバル日本に敗れたのを悔しがっている。オリンピックでの勝敗は、選手個々人の能力、技能も重要ではあるが、その勝敗を決めるのは、もっと目に見えない部分にあるように思われる。特にそれは、国家の運勢という目に見えないものに左右されることが大きいと感じる。言い換えれば、その時の国運というか、運勢に影響されるということである。

 韓国は、現在経済的にも不況のドン底にある。安全保障上においては、THAAD 配備を巡って、これまで蜜月関係にあった中国との関係が壊れ、経済不況もあって、日本にすり寄ってこようとしている。反日は結局、韓国を亡ぼす獅子身中の虫となり得る。こういう国家的背景のもとに今回のオリンピックでの実績が表れたものと解される。
 例えば、韓国では水泳は、初めからメダルの目標から外されている。その理由の一つは、学校で
は水泳など教えていないからだ。理由は簡単である。日本では、小学校の98%にプールがあるが、韓国では小学校の1%しかない。スポーツそのヨディものより、スポーツのインフラ自体が欠けているか
らだ。ともあれ、オリンピックは、国力の総体が問われているわけだから、小さな国は分野が限られてくる。
 しかし、クーベルタン男爵の言葉を借りれば、オリンピックの目的は勝つ事ではなく、参加する
ことに意義があるということであるから、勝ち敗けは別として、まずは平和を愛する青少年アスリー
ト達の平和の祭典として理解することが求められている。

☆東京大会をどう成功させるか 
 8 月21 日(日本時間22 日)リオデジャネイロマラカナン競技場で閉会式が行われた。閉会式に参加した小池都知事は、次期開催都市の首長として、日本らしさを演出すべく和服姿で出席し、フラッグ・ハンドオーバーセレモニーに現れた。
そして大会五輪旗は、開催都市のブラジルのリオ市のエドアアド・パエス市長からIOC 会長のトマス・バッハ会長へ返還され、更に和服姿の小池東京都知事に手渡された。君が代の国歌が流れ、日本の最新技術を駆使した日本と東京の映像が映された。こうしていよいよオリンピック大会は、日本東京に手渡され、「サイは投げられた」のである。
この際、余興として安倍首相がスーパーマリオの格好をして、地球の反対側からリオの会場に現れたという演出を行い、集まった観衆からヤンヤの喝采を浴びた。問題は、リオ以上の大会を東京がやれるかどうかである。一番重要なのは、政府と東京都、そして組織委員会との三位一体の協調体制を築けるかどうかにかかっていると思われる。
 朝日新聞の社説「東京がモデルを築こう」(2016.8.23)によると、リオを見倣えということらしい。何を見倣うかとういうと、開催費用を圧縮し、経費節減をやれということらしい。オリンピック開催を盛り上げるような飾り付けは、リオ市には全然なかった。また仮設会場や周辺の通路などは、簡素なくくりだった。五輪とパラリンピック開会式の費用は、08 年北京の20 分の1、前回ロンドンの12 分の1。また会場施設費と運営費は、64 億ドルから41 億ドル(4,100 億円)へと削減された。東京はリオの路線を継承し、新しい五輪のモデルを構築すべきだとしている。もっともらしい御意見であり、立派な見識と言えなくもないが、ちょっと待て!      
 オリンピックでは無駄を排し、過剰な設備を避けるべきは理の当然であり、異論はない。しかし、ブラジルの簡素さは、節約のためというより、お金がなかったからに過ぎない。リオのカーニバルで全ての金を使い果たすような国民性から考えても、質素にせざるを得なかった、彼等のフトコロ事情があったのである。朝日の論説は、日本の繁栄を壊そうとする、反日の徒輩の愚見である。
 日本の経済が冴えない理由の一つは、民主党(現民進党)以来、公共投資を怠ってきたからである。
「コンクリートから人へ」などという愚かしいスローガンに乗せられて、公共投資を削減したことの罪が大きい。東京オリンピックには世界中の注目が集まる日本再興の、天が与えた絶好のチャンスでり、天祐である。これを逃せば、日本が発展するチャンスはほぼ、永久になくなるだろう。
それなのに朝日は経費を削減し、環境に優しいオリンピックにしようと万民に囁き、日本繁栄のチャンスを潰そうとしている。それは悪魔の囁きであり、反日左翼勢力の代弁者である。
     
 オリンピック時には、3,000 万人の外国人観光客が日本を訪れるのに、 環境に優しく、貧しい大会で良いだろうか。お金は日本には充分ある。問題はそれをどう使うかである。朝日が言うような意見は、新自由主義に基づいた、左翼反日勢力の言説であり、絶対にこのような反日の徒の言説に耳を貸してはいけない。
 再び日本でオリンピックが開催できるかどうか、最早今世紀中にはそのチャンスはあるまい。その
絶好の飛躍の機会を、費用節約などという美辞麗句で国民を惑わす論調を排し、安倍政権を先立て
て、全面的に第32 回東京オリンピックの成功のため、全力を尽くすべきである。