【その他】こんなに早くドイツが統一されるとは!!!

こんなに早く!!東西ドイツが一つになった。!
ドイツが分断されたのは第二次世界大戦後のことである。連合国4か国、米・英・仏・ソがドイツを分割して占領していた。ベルリンは東西に分けて西は英米仏、東はソ連支配下に置かれたわけである。しかし、1949年米英仏は西側の占領地をまとめてドイツ連邦共和国を作らせた。ソ連はそれに賛成せず同年ドイツ民主共和国を作らせた。それ以来ドイツは東西に分裂し東西冷戦の中核にあったわけだ。
1989年にベルリンの壁が壊され時、東ドイツに駐留していたソ連軍は何もしなかった。
1968年自由化に向かおうとしたチェコソロキアを戦車で蹂躙したソ連軍とは大違いである。
ベルリンの壁が取り払われ東西ドイツの自由往来ができるようになってかフランクフルトでは東ドイツから来た人は、市街電車無料という掲示が出ていた。
ベルリンの壁を壊してそのコンクリート片を道端で売っている人も大勢いた。
それから一年もたたない1990年10月に東西ドイツは統一されてしまう。
私は、1990年10月2日仕事のために、南ドイツのニュールンベルクにいた。一つ仕事を終えて次の仕事の準備をするためにホテルを予約していたが、突然、フランクフルトから至急帰るようにとの指令があった。ホテルをキャンセルして、ニュールンベルクの駅へ着いたときは深夜で、フランクフルトまで行く汽車はあるのだろうかと心配していた。
幸い最終の汽車があったのでチケットを取ることができた。
駅で汽車を待っていると、ニュールンベルクからベルリンへ行く夜行列車が入ってきた。明日のドイツ統一のためにベルリンへ向かう人たちだろう。
何か買うつもりだったのかもしれない汽車から降りてきた若者は手にワインの瓶を持ちながら、ドイツの国家をうたっていた。汽車の中でも若者たちが「統一・正義・自由・わが祖国ドイツのために」と声高に歌っていた。
私も、この汽車に乗ってベルリンまで行こうかなと思ったが、仕事を思い出して、思いとどまってフランクフルトへ帰った。
深夜のフランクフルトの中央駅には、タクシーもいない道はわかっていたので、住居まで歩こうと暗い道を歩き始めた。人っこひとりいないくらい。駅から2〜3分歩いたとき前方から猛スピードでパトカーが来て私の前に止まると、大きな警官が出てきた「あなたは30分どこにいたか」と聞く。
ドイツ駅は改札口がなくチケットは検札で調べる、だからチケットは残っているわけだ。
ポケットに手を入れてチケットを出して警官にわたし5分ほど前にフランクフルト中央駅に着いたと言うと、懐中電灯で照らしながら調べている、それが済むと、パスポートを見せろと言う。幸いパスポートに正当なビザがあったので、警官は納得したのか、挙手をしてまた車に乗って走り去った。どこかで起こった犯罪の犯人を追っているのだろう。
ベルリンは今頃花火が上がって東西ドイツの市民が統一を祝ってお祭り騒ぎだろうと思いながら、暗い道をひたすら歩いた。