東日本大震災の教訓

東日本大震災が突きつけた最大の教訓は、「戦後体制」では国民の生命と財産を守れないという厳然たる事実である。戦後憲法は国家危機という概念すら亡失してきた。憲法を早急に改め、国家・国民の危機管理能力を飛躍的に高めねばならない


【ポイント】
2万人に及ぶ犠牲者を出した東日本大震災から3月11日で丸1年を迎えました。ここから日本国民は何を教訓として学び取るべきでしょうか。当研究所は、まず米国製の押し付け憲法である現行憲法を改めて「確固たる独立国」として再生すること、そして「災害に強い国土建設」を推進することを提言してきました。大震災は「改国」の重要性を国民に突きつけたのではないでしょうか。被災地においては民主党政権の危機管理能力の無さによって復興事業が遅々として進まず、福島第一原発事故は未だ収束の見通しすら定かでありません。この原因は、戦後憲法が緊急事態を想定外に置いて非常事態条項を設けず、また国家指導者が危機管理、緊急事態に対応する心構えもなく、法整備も怠ってきたところにあります。戦後憲法の平和ボケを顕現する菅直人という市民政治家を総理大臣に戴いたゆえに、混乱に拍車を掛け、犠牲を拡大したのです。この教訓を踏まえ「改国救世」を急がねばなりません。


【視点】
●平和ボケの国家指導者では生きる命も失われる

国家指導者、責任政党は国難に当たって、どうあるべきか。このことは古今東西を問わず、常に問われてきたことです。残念なことに3・11大震災では、指導者はこうあってはならない、という典型的な姿を示しました。原発事故をめぐって2月に民間事故調福島原発事故独立検証委員会)が第三者の目でさまざまな角度から検証し報告書をまとめましたが、その結論は次のところにあります。すなわち首相官邸の初動対応について「場当たり的で泥縄的な危機管理だった」ということです。委員長の北澤宏一氏は「官邸主導による目立った過剰介入があった。そのほとんどは有効ではなかった」と、厳しく批判しています。
同報告にあるように政治家とりわけ菅直人首相(当時)の無能ぶりは目を覆うばかりでした。もとより現行制度に問題がありますが、少なからず危機管理体制が整備されています。本来、危機が到来すれば、国家指導者たる者は、そうした制度を駆使し、あるいは場合によっては制度を超越して国民の生命・財産を守るために一身と賭して働くものです。ところが、菅首相にはそれがなかったということです。このような政治家を首相に据えたことを国民は慟哭すべきです。
現行制度下で行えたことを以下に挙げてみましょう。次なる大災害では次のことを行うべきです。

①「安全保障会議」を開催し、国家危機として総力戦で臨むべきである
第1に、安全保障会議が開催されなかったことが問題です。安全保障会議というのは、現行体制下において「国防に関する重要事項および重大緊急事態への対処に関する重要事項を審議」する最高会議で、議長は総理大臣です。この規定にあるように、国防だけでなく、大災害などの「重大緊急事態」にも対応するのが安全保障会議なのです。ところが、菅首相東日本大震災が誰の目にも重大緊急事態であったにもかかわらず、安全保障会議を開催しなかったのです。これは国家を敵視し「平時」しか念頭にない市民政治家のゆえに「国家危機」「有事」を描くことができなかったからです。
初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏は「安全保障会議を召集して、少数精鋭で対処し、首相が最終的に決断していくのが官邸の危機管理の在り方だ」と述べ、そうした対応がなかった菅氏を指弾しています。(時事通信3月2日)。佐々氏の指摘どおり、安全保障会議を開き、重大緊急事態として震災に臨んでいれば、命令指揮系統が一元化され、迅速な対応が可能だったでしょう。

災害対策基本法に基づく「災害緊急事態」を布告すべきである
 災害基本法の第105条には国の経済や公共の福祉に重大な影響を及ぼす激甚な災害が発生した場合、内閣総理大臣閣議にかけて災害緊急事態の布告を発することができるとしています。災害緊急事態の布告は国会承認を経ることになっており、そうすれば与党のみならず、野党にも緊急事態に対応する責任が明確になり、与野党一体で震災に臨むことが可能となったのです。
さらに布告によって不足している生活必需物資の配給や譲渡、引渡しなどの緊急措置を命令できるようになり、支援物資を迅速かつ的確に被災地に送ることができたのです。ところが、菅首相は緊急災害対策本部を設置したものの、災害緊急事態を布告せず、「平時」の体制で臨んだため、被災地でガソリン不足を招くなど混乱を生来せしめ、また今日においても復興事業が遅々として進まない惨状を呈するようになっているのです。

警察法にある「非常事態の特別措置」を取るべきである
警察法71条は、国の経済や公共の福祉に重大な影響を及ぼす激甚な災害が発生した場合、内閣総理大臣閣議にかけて、災害地域に災害緊急事態の布告を発することができるとしています。東日本大震災で布告していれば、「警察を首相直属とし、警察官25万人を動員できた」(佐々氏)というのです。ところが、警察嫌いの過激派出身の菅首相や枝野官房長官は非常事態の特別措置を取らず、あくまでも「政治指導」(という名の私的対応)に終始し、警察官の全国動員をためらい、加えて消防にも統括指揮官を置かず、その結果、系統だった救援復興活動が不可能になってしまったのです。

④政府の現地対策本部を設置し、「速戦即決」で対応すべきである
 菅首相を初めとする政府首脳は被災地から遠く離れた首相官邸で、観念的妄想的な指示に明け暮れ、被災地救援の足を引っ張りました。本来、政府の現地対策本部を津波被災地の宮城・岩手県と、原発被災地の福島県の2カ所に設けるべきでした。現行の災害対策基本法が制定される契機となったのは伊勢湾台風(1959年)ですが、同台風においては時の総理、岸信介氏は現地・名古屋市に「中部日本災害対策本部」を設置し、本部長に益谷秀次副総理、同代理に自治大臣、副本部長に関係省庁の次官級を派遣し、「速戦即決」で救援・復興を進めました。
ところが、東日本大震災では現地対策本部を置かず、そのために被災地の現状を十分に知ることができず、対応は後手を重ねたのです。震災から11ヶ月経った今年2月にようやく復興庁を発足させ、3県に復興局が設置しましたが、現地にいるのは課長級にすぎず、「速戦即決」の権限も力量もなく、官僚組織の悪弊に染まったままで、被災地の要望に十分に応えられずにいるのです。


●抜本改革には憲法改正で「国家危機」に対応できる諸体制を構築すべきである

このように現行法体制下であってもやれることはあったのです。ところが菅民主党内閣は無能をさらけだして、右往左往し、犠牲を増やしたばかりか、現在の復興事業の足も引っ張っているのです。これはひとえに「有事」との認識を持たず、安全保障会議を開かずに「平時」で対応した結果です。
では、こうした危機を克服するには根本的に何が必要か、以下に見ましょう。

①平和ボケの戦後憲法には「国家緊急権」が存在しない
なぜ政治(とりわけ首相)の不作為がまかり通ったのでしょうか。それは全ての法制度の基礎となる憲法に緊急事態条項つまり「国家緊急権」が示されていないことに尽きます。その意味で、東日本大震災はまさに憲法の不作為であったといえます。
当たり前の話ですが、海外ではいずれの国においても戦争や内乱、大規模な災害など緊急事態に対応する規定を憲法に明記しています。成文憲法がないイギリスにおいては緊急事態に際して政府は平時において違憲とみなされるような措置をとっても許されるとするマーシャル・ルールがあります。
日本と同様に敗戦国であるドイツ(西ドイツ)には当初、憲法に緊急事態条項がありませんでした。占領した連合国が作らせなかったからです。しかし、独立国として体制作りを進めていく中で、1968年の基本法憲法)大改正いわゆる「ボン基本法」において緊急事態対処規定を数十カ条にわたって挿入しました。すなわち外的緊急事態(侵略)と内的緊急事態(災害)の2つに分け、定義や権限、政府が非常措置を乱用しない仕組みなどを規定したのです。当然の憲法改正でしょう。
ところが、わが国の現行憲法には緊急事態が起きたときにどうするかといった規定がどこにも存在しません。今なお、そのままです。これは驚くべき欠陥憲法というほかありません。国民にも責任があります。この欠陥を補おうと前述の警察法第71条に緊急事態規定が設けられたのです。本来は憲法に明記すべき内容であることは論を待ちません。
また昨年4月、被災地での統一地方選挙は特別立法で延長されたが、仮に国政選挙の最中に緊急事態が発生した場合、どうするのでしょうか。こうした対応についての条項も現行憲法には全く存在しません。憲法には国会議員の任期などの定めはあっても、緊急事態時の対応策は明示されていないのです。何とも呆れた憲法です。これでは非常時に国家が機能せず、国民の生命・財産が奪われるのを傍観することになります。

②「国防義務」も「緊急事態時義務」も存在しない欠陥憲法
有事や大災害の場合、国民の生命・財産を守るために、一時的に国民の権利が制約される事態が発生します。このことは東日本大震災で高速道路を緊急車両の通行だけを認め、一般車の通行を禁止した一事をもってしても明らかでしょう。こうした制約をしないと国民の生命が守れません。同時に緊急事態時に国民はどのような義務を果たすべきか―有事の場合は国防義務―を憲法に明示しておかねばなりません。
ところが、現行憲法は個人の権利を言うのみで、国民の義務については一切沈黙しています。これでは緊急事態時に国民は烏合の衆に陥っていまい、危機管理ができなくなってしまいます。したがって憲法を改正し、緊急事態における政府や自治体、国民の役割やルールを明示しておかねばならないのです。
 大災害の混乱を見据えれば、憲法改正は当然であると多くの国民が考えています。事実、阪神大震災直後、読売新聞社世論調査を行ったところ、「大災害などの緊急時に首相が素早く対応できるような規定を憲法に設けるべきか」との問いに90・2%が賛成し、反対はわずか6・4%にすぎませんでした(読売新聞1995年4月6日付)。
国民も憲法改正を望んでいたにも関わらず、それを放置してきた政治の責任は大きいといわざるを得ません。そのツケが東日本大震災で回ってきたといっても過言ではないでしょう。

憲法改正とともに、緊急事態の法整備が必要となる
 憲法改正に取り組むとともに、法律としては緊急事態基本法を早急に制定しておく必要があります。大災害や原発事故のみならず、外国の侵略やテロなどの重大で切迫した事態が起こった際、国と自治体が一体となって迅速に対応するシステムを作っておかねば、今回のような政治不能に陥ってしまうからです。平時体制のままでは国家的緊急事態に対処できません。今回の大震災ではヘリコプターからの食糧支援物資の投下が法律違反として許可されませんでした。人命よりも法律が優先する、まか不思議な国として世界から失笑を買いました。「トモダチ作戦」で被災地に駆けつけた米軍も呆れていたといいます。このように平時体制ではさまざまな制約があり、救える命も救えなくなります。
そこで国民の生命と財産、主権と国土を守るために、私権の限定的制限を含む救済、救援、復興措置を内閣総理大臣の権限の下で宣言し、実行する規定を盛り込んだ「緊急事態基本法」といった法整備が必要です。こうした法整備をしておけば、どんな無能な総理が登場しても(もちろん菅首相のような人物は2度とごめんですが)、政府として自動的に動けるようになります。

以上、当研究所は現行法での対応策および抜本的対応策をいくつか提言しました。



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