統一後ドイツ・ベルリンへ行ってみた
ドイツが統一されてから、旧西ドイツは多大に旧東ドイツに対して経済的援助をしなければならなかったようだ。
東ドイツは経済・技術・インフラともに進んだ、共産圏国の優等生と言われ経済も高度に成長していたと言われていていた。
戦後分断国家として存在していた南北ヴェトナム・朝鮮・韓国・東西ドイツがあったが、東西ドイツ統一は、最後だろうと言われていた。
ヴェトナムが北ヴェトナムに統一されてからそれほど時を経ず東西ドイツが一つとなってしまった。
東ドイツが政権維持を断念したからであろう。二大強国のうちアメリカはエールを送りソ連は静かにしているしかなかったのではないか。
当時のドイツ連邦大統領 ヴァイツゼッカーは記念演説の冒頭で、「今やすべてのドイツ人に適用されることになった憲法の前文には、本日我々の心を動かす決定的なことが述べられています。我々は自由な自己決定によりドイツの統一と自由を完成する。我々は統一したヨーロッパの中で世界の平和のために貢献したいと思う。われわれの使命を達成するにあたり、われわれは神と人間に対する責任を自覚する」と述べている。
これは世界で非常に評価の高い演説だ。
私は、ドイツ統一の数年後、友人を訪ねるためにベルリンへ行きました。
友人は旧東ドイツエリアのアパートに住んでいました。旧西ベルリンよりこちらの方の家賃が格段に安いということでした。
キッチンも整備されており、バスルームもある住居でしたが手入れが行き届いていないのか壁はすすけていました。それでも天井の高い古い建物で住むには申し分ないところのように思う。
奥さんの心のこもった食事を頂いた後、縫う人の案内で近くを歩いて回り、ブランデンブルゴ凱旋門を見に行きました。
昔のベルリンの壁は一部記念のために残してあるもの以外どこにもなかった。
ブランデンブルゴ門を行ったり来たりしてみた。門の上には戦車を操る女神ヴィクトリアの雄姿が乗っている。この門は1788年作られたものだが、ナポレオンに敗れたとき門の上に飾られていたヴィクトリアの彫像はナポレオンによってフランスへ持っていかれてそうだが、プロイセンナポレオン3世を破ってドイツ第二帝国を創建したときに奪還したそうだ。
門の上で4頭立ての戦車に乗って傲然とベルリンの街を睥睨している女神様にもいろいろな苦労の歴史があるものだと思う。
門の下では、旧ソ連の軍隊の放出品軍服・軍帽・暗視望遠鏡等色々なものを
を売っている青年がいた。時代の移り変わりを感じる。